無色透名祭に参加して感じた違和感
無色透名祭というイベント、初めは「おお!なんと素晴らしい企画だ!」と思ってましたが、
これまで「無色透名祭」に参加してみて妙な違和感が湧いてきました。
「じつは“無色”でも“透明”でもないのでは?」
投稿ページには“いいね”や“マイリス数”、そして画面に流れていくコメント…。
それらが知らず知らずのうちに自分の中に評価バイアスを生んでいることに気づいたんです。
数字やコメントが生む評価バイアス
いいね数・マイリス数が与える印象
まず気になったのが、
いいねやコメント数が極端に多い作品を見ると、
「この人、有名な作者なのかな?」と勝手に推測してしまう。
数字を見るだけで、評価とは関係ない人気度バイアスが働いてしまうんですね。
コメントによる作者イメージの固定
さらにコメント欄には、
「◯◯さんの新作かも」「これ△△さんっぽい」
といった推測もたまに書かれていることもあって、
それを目にした瞬間、もう完全に作者のイメージが頭に浮かんでしまう…。
誰が作ったか知らないまま作品を味わうというテーマは、
そんな小さなヒントひとつで簡単に崩れてしまうと思うんです。
もちろん、作品の評価が可視化される仕組みは便利だし、投稿者としても励みになります。
でも「無色透名」というコンセプトの上では、どうしても矛盾が生まれてしまう気がしました。
飲食店の行列にたとえて評価について考えてみる
行列が判断を左右する仕組み
例えば街を歩いていていくつも飲食店が並んでいるとします。
その中で、ひとつだけ長い行列ができている店があったら…
「あ、ここ人気なんだ」と思って、つい覗きに行きますよね。
雰囲気が良さそうなら並んで、きっとそこで食べる…。
このとき、その店を選んだ理由は、
「料理の味を知っていたから」ではなく「行列が見えたから」だと思うんです。
無色透名祭に置き換えると何が起きるか
行列という視覚情報は、私たちの判断を強く引っ張ってしまいます。
無色透名祭での、「最初に勝負するポイント」というのは本来、“曲名”。
その情報だけなら十分フェアなはずなんですよね。
でもそこに、いいね数、マイリス数、コメント表示
といった見える行列が加わると、話は変わってきます。
それらは時間が経てば経つほど伸びていくので、
後から聴く人ほど、すでに出来上がった行列を見てしまう。
つまり、聴きはじめる時点で
すでにフラットではない状態に立たされていると思うんです。
本当の“無色透名”を目指すなら、全部隠すべきでは?
もし無色透名を徹底するなら、
いいね数・マイリス数・コメント表示
これらはイベント期間中だけでもすべて非表示にするべきだと思いました。(そんな事できるのか…?)
数字はバイアスを生み、
コメントは作者予想バイアスを強めてしまう。
そうした外的情報をすべて断ち切って純粋に作品だけで勝負する空間こそ、
「無色透名祭」の本来の理念に近いのではないかと感じたんです。
イベント終了後にすべて開示する、みたいな事ができれば十分に機能するはず。
その方が、作者にとっても「素の反応」がわかりやすいかもしれません。
まとめ
今回、自分の中に生まれるさまざまな評価バイアスに気づかされたことで、
「完全にフラットな視点で作品を見るって、思った以上に難しいんだな…」と感じました。
そして同時に、数字やコメントが可視化されたままでは、
どうしても“無色”や“透名”という理想を追いきれない部分がある、ということも強く感じました。
純粋に作品だけを見たい!
誰が作ったかも、どれだけ人気かも気にせずに味わいたい!
そんな理想を本気で形にするなら、
バイアスの入り込む余地をなくす仕組みが必要なのかもしれません。
そんなことを考えながら、今日もまたいろんなボカロ作品を漁っています。

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